夢想と理想の違い
彼氏のエロ漫画(勝手に見つけた)に出て来る女が叶姉妹並みの《巨乳》なので、
「私がこんな巨乳だったら嬉しい?」と聞いたら、
「現実でそんな大きいのは嫌だ」と返された。
あまり問い詰めてもBカップの私には具合が悪いので「ふーん」と流してしまったが、
それからずっと納得できてなかった。
でも、ふと考えてみると、
自分の中の欲望って現実になぞるまでは広がりやすい性質なんじゃなかろうかと思う。
例えば、《超高級ホテルのスイーツブッフェを独り占め》なんて、
とっても夢があるし想像するだけで涎がじわっと溢れてくる。
でも、実際には一皿半くらい食べればすっかり満足してしまって、「こんなにはいらなかったな」となる。
巨乳問題もそれと同じではないかと思う。
夢想するだけならどんなに自分の《欲望の強さ》と《欲望の対象》とがアンバランスでも成り立つ。
だから、現実に即した理想よりも大袈裟に夢想する。
そして現実になるとたちまち、「そこまで欲してない」となってしまう。
もちろんBカップに遠慮して巨乳を求めないフリをした可能性も大いにあるが、そうでない可能性が開けたことは私にとって意味があるのだ。
そう考えると、ありがちな異性への理想が高くて誰とも付き合えないでいる人の中にも、
案外付き合って見えてくる本当の《理想》というものがあるんじゃないだろうか。
女の子なら誰でも一度は自分の理想(イケメンで背が高くて声が綺麗で賢くて運動が出来て育ちが良くて高収入で自分だけに優しい)の男性を夢見ることはあるよね。
でも付き合ってみると、自分がどういう時に嬉しくなってどういう時に悲しくなるのかがはっきりと分かって、
自分に必要の無い夢想は自然と無くなる。
スペックじゃなくて自分と相手の関係性の中にこそ二人でいる幸せがあるのだから、
夢想と理想は区別していたいよね。