逃げるは恥だが役に立つ 原作レビュー
原作も面白いよ!逃げ恥!
ドラマ版も観てるし面白いけど、新刊が待ち遠しい女性向け漫画の一つ。
表紙の通り絵は淡白な方だけど、話が濃いのでバランス取れてるのかも。
ドラマ版はガッキーパワーが強すぎる感がありますが、原作のみくりは小綺麗な女性という感じでガッキーだからこその突っ込みどころもありません。(絶対ガッキーはクビにならないでしょ!とか…)
原作での最初のフックは、ユリちゃんでした。
男性経験の無いキャリアウーマン!?
と思ったら、みくりはみくりで家政婦としての雇用主に契約結婚を持ちかけるし、みんなふつうの顔してデコボコのある登場人物たち。
一見非の打ち所がない風見さんも屈折を抱えてるし。
でも、それを周囲にとってもなんとか優しい形で折り合いをつけようとするのが逃げ恥世界観の良いところだなと思います。
河原で殴り合ってわかり合うのではなく、緩やかに融けあうような人間関係で二人の関係が前進したり後退したり。
細やかな感情の動きだけでドラマチックにハラハラさせられる(主にヒラマサに)のは、海野つなみ先生のすごさだと思いました。
契約結婚や主婦の年収や愛情の搾取など、専業主婦が当たり前じゃ無くなった現代の矛盾に一石を投じた面はあるけど、登場人物の優しい気持ちがベースにあるからこそ支持が高いドラマになったんじゃないかと考えてます。
もしかしたらこれだけ人気なので、ドラマも続編があるかもしれませんね。
しかし、ドラマ版みくりと漫画版みくりが今後は違う結論に辿り着いたりする可能性もあるので、目を離さずにいたいと思います。
ちなみに、海野つなみ先生によると、もしドラマ化するならみくりはガッキーが理想だったそうで、それでこれだけ良い映像作品を作って貰えて、本当に幸せなんじゃないかと思います。
映像化って難しいですからね…
H氏について
一つ前の記事ではあまり個人の問題として語りたくなかったので個人名は伏せたけれど、H氏とは北条かやさんのこと。
能町みね子さんを好きでフォローしていて彼女を知ったので、彼女に対してはどうしてこんな行動をするんだろうという興味はあっても特に好意はない。
色々な方面にすり寄っては傷つけ、追い立てられる彼女にはそんなやり方しかできないのかと最早同情しかできない。
人の気持ちを想像できないんだから、いくら言語系のIQが高かろうが、ライターとか情報発信とかやめたらいいのに。
本人が傷ついているとか自閉症スペクトラムというのは疑いませんが、30にしては傷つくまでの経緯と傷ついてからの発言が幼稚すぎやしませんか。
私はどんな境遇の人であれ「可哀想」というのは思わないように言わないようにしてるけど、そう言って欲しいのかなと北条さんについては思ってる。
多分、北条さんが偶然この記事を見たら、ツイッターで言ってたように「文句があるなら殴りに来い」というのかもしれない。
でも全然殴りたくないし文句も言いたくないし、むしろ話を聞いて励ましてやりたい。
今日も自閉症スペクトラムを「病気」といって「状態」じゃないかと突っ込まれてたけど、ほんとそう。
「病気」ってのはゲームで言う異常ステータスで治せるものだけど、自閉とか発達障害は一生付き合っていかなきゃいけないもの。
「病気」って言うと優しくしてもらえるとでも思ったんだろうか。
そもそも、完璧な人間なんていないし、人間誰しも様々な「特性」や「傾向」を持ち合わせているんだし、それに診断がつくかつかないかで個々人の気持ちや周りの扱いは変えるべきではないと思う。
人の気持ちが読めない人も、空気読めない人も、怒りっぽい人も、自分の気持ちが言えない人も、すぐ落ち込む人も、みんな生き辛さを抱えているもの。
それに「診断結果」がついたところで、対処できない限りそれに振り回される周りの迷惑も変わりない。
別に周りへの迷惑はかけちゃいけないものじゃないし、私だってあらゆる人に迷惑をかけながら生きてる。
「私はこうだから」という開き直りはあってもいいけど、周囲への配慮を欠いたり権利として配慮を求めすぎるのは違うと思った。
まだ、まとまってない気がするけど、おわり。
弱さをふりかざすことについて
ツイッターである人(H氏)が「自分はアスペだ」と言ったところ、周りはザワザワと落ち着かなくなった。
共感する人、疑う人、嘘だと決めつける人など反応は様々。
H氏は"診断結果"を公表したことについて、同じ悩みの人と話したかった、アスペでもこんな風に仕事できてると希望を見せたかったと言ったが、想定と反対の声が来たそう。
死ね的な言葉が寄せられる状況に、H氏「辛い」→「本当に悩んでる人に失礼。謝って」→H氏「辛いって言っただけなのに」→以降H氏病みターン→『弱さを振りかざすな』
経緯の説明が長くなりましたが、この『弱さを振りかざす』ということについて、ちょっと考えてみた。
元々、振りかざすものって弱さではナイですよね。大体、権力とか大義名分とか正義とか正論とか刀とか…
振りかざされる側を脅かすようなパワーとか強みがあるものですよね。
ハンカチとか優しさを振りかざした所で、怖くも何ともないじゃないですか。
でも、弱さは振りかざすことができる。
言ってしまうと『相手を悪者にする力』が弱さにはあるから。
弱い者を助けるというのは「人として当たり前の事」と言う人もいますが、思うに日本人は「当たり前」とか「普通」に忠誠を誓う人が多い。
自分が「当たり前」「普通」の基準から外れそうになると、自分基準で「普通」を作り直して周りを見下してみたり、一匹狼気取ってみたりしますよね。
だから、「弱い人に優しくする」という当たり前の事ができない(状況・コスト・相手によって)場合に、自分が「優しくない人=悪者」になると思ってストレスを感じて次のようなアクションを起こすことがある。
・「ただの甘え」「うつでもないくせに」
→相手の弱さ自体を否定する。
・「私の方が辛い」「もっと大変な人もいる」
→弱さには弱さを。自分では対抗できない場合は、もっと弱い人(自分とは無関係でも可)の例を借りてくる。
・「だったら〇〇するな」「自分が望んだことだから我慢するべき」
→弱肉強食系の正論?でねじ伏せる。
こういう反応を返す人ほど、「人はこうあるべき」という考えが恐らく強いんじゃあないだろうか。
もちろん、相手のことを想ってわざとキツイ言葉を選んでぶつけることもあるし、「辛い」と言った直後に「今週末のディズニー楽しみ♪」と言っていたらホントかよとツッコミが入るのは当然である。
ただ、どんな生き方にせよ人が「辛い」と思う瞬間は確実にあり、そう思って表現すること自体はどんなに滅茶苦茶なタイミングや表現方法でも責められることは無いと思う。
しかし、人に「弱さ」を見せることは、その相手にプレッシャーを与えるため、「優しくない」反応を引き出す場合があると思って発言するべきだと思う。
だから、ツイッター上でアンチの多いH氏は、もっと「優しくしてもらえる」環境でその発言をした方が、本人にとっても周りにとっても良かっただろうな。炎上商法のつもりだったら、見当違いですが。
誰だってみんなに優しくなんてコスト的に難しいんですから、優しくするべき対象は少ない方がいいですよね。
そして、優しくするべき対象には、優しくする(自分のコストをかける)だけの価値があって欲しい。
言葉にすると打算的にもほどがある私の思考ですが、私の場合は「人はこうあるべき」という意識の薄いだらしない人間なので、
妊婦は病気じゃないし、親は勝手に自分を産んだんだし、うつは甘えだし、自分だって辛いし、もっと辛い人が他にいる。『弱さを振りかざすな』。
こんな言葉がスッと出てくるような思考回路してたら、そりゃあ自分も生き辛いし、「辛い」という人にも優しくする余裕なんて無くなっちゃうよね。
もう一つ別サイドからの問題は『弱さを振りかざす』側にもあって。
それは、弱さを権利化すること。
こうなると弱さ=権利だから、いくら振りかざしても違和感ない。
正確には「弱さを是正するための優しさ」の権利化ですね。
上で少し触れた、自分が「当たり前」「普通」の基準から外れた時にどういう態度を取るかということ。
健康な人が足を悪くした。
電車で中々席を譲ってもらえない。
座りたいのに座れないのは辛いですよね。
かといって一々知らない人に向かって「譲って貰えませんか」と尋ねるのは申し訳ないし…
こんな状況の時は権利化してしまうと楽です。自分は一切悪くないことにして、自分が「優しくされる」に値するかも考えずに、周りに権利の行使を要求すればいいだけですから。
もちろん「有難う」なんて発想はそこにありません。「弱いんだから優しくされて当たり前」。
そして権利つきの弱さに味を占めると、自ら弱さを主張するようになって、繰り返される優しさの消費にイラついた周囲が攻撃を始める。
私も図に乗って権利主張ばっかりにからないように気をつけなきゃなぁー。
『人に弱みを見せない』というのは気遣いのポイントにもなりうるし、人の弱さを見て攻撃したくなったら自分が鬱憤を溜め込んでないか内省すべきかな。
おわり。
夢想と理想の違い
彼氏のエロ漫画(勝手に見つけた)に出て来る女が叶姉妹並みの《巨乳》なので、
「私がこんな巨乳だったら嬉しい?」と聞いたら、
「現実でそんな大きいのは嫌だ」と返された。
あまり問い詰めてもBカップの私には具合が悪いので「ふーん」と流してしまったが、
それからずっと納得できてなかった。
でも、ふと考えてみると、
自分の中の欲望って現実になぞるまでは広がりやすい性質なんじゃなかろうかと思う。
例えば、《超高級ホテルのスイーツブッフェを独り占め》なんて、
とっても夢があるし想像するだけで涎がじわっと溢れてくる。
でも、実際には一皿半くらい食べればすっかり満足してしまって、「こんなにはいらなかったな」となる。
巨乳問題もそれと同じではないかと思う。
夢想するだけならどんなに自分の《欲望の強さ》と《欲望の対象》とがアンバランスでも成り立つ。
だから、現実に即した理想よりも大袈裟に夢想する。
そして現実になるとたちまち、「そこまで欲してない」となってしまう。
もちろんBカップに遠慮して巨乳を求めないフリをした可能性も大いにあるが、そうでない可能性が開けたことは私にとって意味があるのだ。
そう考えると、ありがちな異性への理想が高くて誰とも付き合えないでいる人の中にも、
案外付き合って見えてくる本当の《理想》というものがあるんじゃないだろうか。
女の子なら誰でも一度は自分の理想(イケメンで背が高くて声が綺麗で賢くて運動が出来て育ちが良くて高収入で自分だけに優しい)の男性を夢見ることはあるよね。
でも付き合ってみると、自分がどういう時に嬉しくなってどういう時に悲しくなるのかがはっきりと分かって、
自分に必要の無い夢想は自然と無くなる。
スペックじゃなくて自分と相手の関係性の中にこそ二人でいる幸せがあるのだから、
夢想と理想は区別していたいよね。
君が心に棲みついた(天堂きりん著)レビュー・考察
(ネタバレと妄想のシチュー)
漫画好きですが、通して読んだ翌日にまた全部読み直した作品はほぼ無いけど、この作品がそう。自分でも何故ここまで惹きつけられたのかが不思議。
◆物語について◆
まず、「ハッピーエンド」がここまで想像できない主人公は初めて。
愛されたい認められたいという渇望から暴走する主人公・キョドコこと小川今日子。
度を過ぎた挙動不審と強烈なネガティブさゆえ子供時代から親にも誰にも受け入れてもらえなかった今日子は、大学時代に初めてありのままの自分を受け止めてくれる星名に出会う。
「初めて心を許せた」「ありのままの自分を受け入れてもらえた」そんな星名に愛されたい・認められたいと思うあまり、段々とおかしくなっていく星名の言葉に自分を失くして只々服従する今日子。
この時点で結局、受け入れてもらえたはずの「ありのままの自分」をアッサリ捨てているのが今日子らしいところ。
愛されたい願望から周りに合わせすぎて、でも器用じゃないから上手くいかなくて…結局愛されなかった今日子が愛されるためにできるのは、更に自分を捨てて服従することだけだったのだろう。
いくら星名に傷付けられても離れず、星名の言う通り好きでも無い男と寝て…
漫画の王道を行く主人公なら、愛の名の下に母性で星名を包み癒したり、叱咤激励して目を覚まさせるところだけれど、モノローグで本人が言う通り、今日子は愛を知らない。
「愛されたい」ためだけの服従だから、星名の気持ちに気付けないし受動的にならざるをえなかった。
大学時代のそんな痛い思い出から、「ちゃんとした恋愛」を求めて今日子は合コンに参戦、漫画編集の仕事をする吉崎に出会う。
星名の時は「ありのままを受け入れてもらえたはずが支配された」経験から、「ありのままの自分に真っ当な苦言を呈する」吉崎の人間性に惚れ込み、暴走し出力を間違えつつも少しずつ距離を縮めていく。
しかし職場に星名が現れ、今日子は吉崎の方がまともだと頭で理解しながらも、一度でも「受け入れてもらえた」蜜の味が忘れられず、自ら翻弄されていく…
悪い意味で純真、悪い意味で弱く、悪い意味で強く、悪い意味でアンラッキー。
イケメン二人の狭間で揺れるなんて王道的関係図でありながら、ハッピーエンドと真逆へ突き進む今日子のパワーが魅力の作品です。
『君が心に棲みついた』の今日子は「生理的に受け付けられない」キャラクターとして描かれていて、それは物語の中だけでなく読み手さえも選ぶからアマゾンレビュー☆1と☆5で割っている気がする。
レビューの中で「今日子に全く感情移入出来なかった」とあるが、それは恐らく物語中の今日子の周りの人と同じ気持ちなのだろう。
今日子・星名の過去を語る場面で出てくる、
「生理的に受け入れられない人間は、一度突き落とされるのがこの社会の決まりです。」
という一文が非常に辛辣。
今日子はもちろん、星名も「生理的に受け入れられなかった」過去から執拗に愛情を求める一人。
星名少年は星名母から愛情?を注がれ、同級生には虐められながら心根は優しい少年のようだった。
ただ、星名は母の不倫?の末に出来た子どもで、不倫相手に似ているために父から虐待され小学生にして整形する。
その後はまだ語られていないが、おそらく最初に今日子と出会った時は多少歪んでても(今日子が言うように「騙した」のではなく)本当に優しい星名青年だったのだろう。
それが星名母がおかした犯罪によって今日子に「オレだけのために生きてくれよ」と言い、現在の自己愛モンスターが出来上がったのではないかと思われる。
その過程では、今までの母からの愛(子どもに整形を強要するのはどうかと思うが)を否定し、しかも既に整形していることから今後も「ありのままの自分を愛してもらう」ということに絶望しているのではないかと推測。
自分を好きになるために整形するならともかく、人から強要されたらそら嫌ですよね。
かくして怪物星名が生まれるも、今日子は優しい星名さんのためならともかく怪物星名さんのためにはどうしても生きられない。
つまり、受け入れられなかった。
今日子はまだ「ありのままの自分」というものがあるから、純粋に「愛されたい」という願望を持ち続けることが出来ている。
今日子にとっての星名は「初めて心を許せた人」として、特別だし性的に惹かれてもいるけれど絶対ではない。
(星名にリードされて依存関係には陥るけれど、それは今日子の性質のためでその関係を願っている訳ではない)
一方で公的・性的にも星名を愛する彼女を作れる星名にとって、今日子はどんなに傷付いても離れずにいてくれる(と星名が願う。だって自分と似た愛されたいのに愛されない人間だから)唯一の存在なのではないだろうか。
同じ職場に現れたのも、多分偶然ではなく星名の計算だと思う。再会前も非通知で電話をかけ続けてたんだし。
今まで母から受けた愛を否定した星名さんの中では、「愛されたい」対象の本当の自分がどこにもいない(整形を強要された)から、その代わりに想像できる限りの酷い自分を今日子にぶつける。
今日子が受け入れられなくても、支配して離れられなければギリセーフで満足。
星名が飯田に言った「所詮綺麗ごとを並べて上辺だけ取り繕っても、虚栄心が満たされるだけ」という言葉は飯田への皮肉で、本当に欲しいのは綺麗な彼女ではなく今日子が自分のためだけに生きているという実感なんだろう。
手に入れたいのは、自分の手で傷付いて欲しいから。キャー!歪んでる!
こんなのに目を付けられる時点でヒロイン失格。星名に舐められきってるよ、今日子〜
◆史上最もイライラさせるヒロイン?◆
「成長しない今日子にイライラする」「ネガティブすぎて感情移入出来ない」という人は、(まったく皮肉ではなく)健全なんだろうなと思う。
私も本当は、「なんでこの主人公はこんな駄目な奴なんだ」って言いたかった。
実際には今日子の視野が狭くて暴走気味なところ、浮き沈みが激しくて仕事の出来もつられてしまうところ、特にネガティブにふれやすい気持ちの面で共感してしまい、ページをめくるたび痛かった。
この物語を通じて、今日子は本質的には変わらないし成長できないんじゃないかと思っている。
だけど、変えられないながらもどう生きるかを必死に模索し続けるのが今日子の物語なんじゃないだろうか。
ちなみに扉のイラストなどのセンスがずば抜けているので、そういう点でも見応えのある作品だと思います!